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12.1
2018
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避けては通れない「終末期医療」を

普通に考える

​テーマ

「終末期」とは高齢になって病気を抱え、死をどう迎えるかを考えることではありません。
あなたやあなたの肉親に、突然起こりうることで、高齢者の問題だけではないからです。「終末期」で求められる様々な「決断」はとても難しい場合があります。充分な知識がなかったり、患者と医療側の認識の相違で、治療や介護に多くの問題が起こっています。「終末期」の正しい判断や、しっかりした考え方を身につけ、自分にあった医療を受けるためにみんなで考えてみませんか?

​高齢の患者が癌を患い、新薬が投与された事例をもとにディスカッションが交わされた。

当日の内容

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​【事例】高齢の患者が癌を患い新薬が投与された事例

89歳になる女性は、がんの一種、骨髄異形成症候群(MDS)を患い、A 病院で新薬(ビダーザ)の治療を開始した。しかし治療の過程で認知症に似た症状が出現したため病院側は、ビダーザの投与を中止した。その後A 病院は、精神科の専門のC病院への転院を勧めた。しかし、患者の家族はC病院は場所が自宅から遠いのと精神科であることに難色を示し、以前入院していたことのあるB病院へ転院した。患者はB病院に転院した時点で飲食ができない状態であったが、病院側の対応は栄養補給はせず、生理食塩水の点滴のみであった。その後、病院側の判断でその点滴も中止した。「暴れて点滴を抜いてしまうので、点滴の場所を変えてみたがもう点滴の針を刺すところがないため」やむを得ず中止したと主張。しかし、家族の願いもあり、家族が付き沿うことを条件に点滴を再開した。 その数日後、家族は患者に付き添い点滴が終了したのを見届け帰宅したが、病院から「呼吸が浅くなってきました。」と連絡があり、病院に急行。10分後に到着すると患者は心電図や人工呼吸器などが装着された状態であった。同室者も別の部屋へ移されおり、医師と看護師が待っていた。家族が揃ってから、状態が説明され人口呼吸器が外され、死亡宣告がされた。

グループ1

 

ACP(Advance Care Planning)は、考え方としてはわかるが、いきなり言われても考える機会がないと言える。今後その機会を提供するべきである。

また、小さい時から死というものと向き合う機会を持つ。ということも大事。

そんな気づきの環境を作るべきであるし、考える場を作ることが国としても求められていると思う。例えば、ACPは後期高齢者の保険証をもらうときに、意思表示を条件にし、表示しないと保険証を付与しないなど仕組みづくりが大事。ACPの内容は変更してもかまわないので、一旦あるところで意思表示をする仕組みづくりも必要

グループ2

事例のストーリーには岐れ道がある。MDSという病気は、治らない病気なので家族にもその説明はしているはず。そもそも病院の選択が違っているのではないか?という疑問もある。家族から見た、89歳の女性の状態はどうだったのか急に悪くなったのか、徐々に悪くなったのか?家族としては、普段の状態に戻してやりたいと願ったのかどうかなど、前提によって異なる。89歳の人が入院した時点で認知症になりやすい。その説明があったかどうかもカギとなる。
A病院に行かなければ、もっと長生きしたかもしれない。家族が強い治療を望んだ場合、それがベストであると判断して、治療が行われた可能性が高い。認知症で精神科というと体の治療を全くしてくれないのではないかという偏見もある。
このケースは、「家族が頑張ってベスト治療だった!」という結論になるかもしれない。転がされるようにどんどん転院しているが、家族は頑張ってやり切ったのではないか?
医療経済的な視点から言って、この治療が一体必要かという疑問も起きるが、目の前の肉親を目にしてそれを考えられるかということ。これについては子供のときから教育が必要。社会保険、医療のしくみ、などは早くから学ばなければならない。3歳の白血病の子供の治療と89歳のMDSのこの治療と優先順位はつけるべき。

グループ3
 

結論から言うと、病院の説明不足。家族の納得のいく説明がなかったことが原因。納得のいく説明を求めていなかった可能性も。アンケート調査によると自分の説明をお医者さんにつ立てられない人は36%もいる。89歳の人に新薬を投与する必要があったのかどうかなどの議論はあるものの、家族のとってみれば、自分の肉親を一秒でも長く生きてほしいと願うのは事実。助かる見込みがあれば、何とかやってほしいと願うことは理解できる。リスクや金額の問題ではない。新薬は選択が難しい。転院についても理由がはっきりしていれば、納得するのではないか。病状、治療のアドバイスについては、なかなか時間が取れない場合もあり、看護師、アドバイザーなどが必要なのではないか?

ターミナルケアは、難しい問題で、決して医療者だけの問題ではない。
なぜなら病人の「死」と、それを取り巻く家族の問題だから。これはもう医学ではない。
医療スタッフの看護師さん、生死にかかわれば係るほど疲弊してしまい、対応しきれない。患者さんのことを思って対応していたことが、誤解を生むこともある。

終末期医療は英語では、エンドオブライフケア 終末期医療であれば、メディアカルケアとなるがそうではない。ケアとキュアの違いは、ケアは気になること、心配事に対する気配りなど、人生の終わりにしてあげましょうと言う事。キュアはなおすこと、治療。死の間際に直すことをしているのではない。それを医療従事者に求めても仕方がない。日野原先生は、「死に対して医者のミッションは死なせないということ」と言っている。しかし勝負をするが100%医者は負ける。治らない病気に対して医療は、存在するのかという話を患者や家族にしなければならない。人は、生まれることをコントロールできないが、死は選べる。人生の幕をどう閉じるかは一人ひとりが考えなければならない。一人一人がそれを書く。しくみと教育が大事。心配や配慮は医療以外のほうがいい。医療以外の方がステークホルダーになって総合的に支えるということ。死を恐れずに、終わるまでにどう生きるかというパワフルな捉え方をすべき。
 

木村病副院長講評

医療の現場にいる立場から言うと、患者さんや家族の方に説明していてもあまり理解されていないのではないかと改めて感じた。
よく患者さんが、「すべてお任せします。」と言うが、あとから疑問とか、そんなはずじゃなかったということを言われるケースがある。やはり説明した際に、ある程度話しあえる状態になっている必要がある。「わからないのでお任せします。」という状態には避けたいと思う。
またこの事例で患者家族は、「精神科」ということで難色を示している。というのは明らかに偏見。今ある病院の診療科のしくみ、内容を理解してもらう必要がある。それにとどまらず医療経済の制度仕組みなども義務教育の内からみんなが知っていると、終末期の治療とどう過ごすかも違ってくる。「ケア」ですからもう少し深いところで悩めるのではないか? 悩むのは仕方がないし、むしろ悩んだほうがいい。悩んで出した結論のほうが良い。

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